『運命』がお好き?
何故かときめく『運命』という言葉
こんにちは
田口紗規です。
みなさんは、「運命」が好きですか?
おおよそ男女ともに好きだと思います。
最近大ヒットを遂げている映画「君の名は」も、運命をテーマにした壮大なロマンティックファンタジーですし、TVでも「運命に似た恋」なんてのも放映されてました。(視聴率は不明)
まあ、なんでも「運命」って言葉を放り込めばいいとは思わないんですが、でも使えば使うほどありきたりの日常でさえキラキラしてくるのですから。不思議ですよね。
運命とは
うん‐めい【運命】
1 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。「運命のなせる業」「運命をたどる」
2 将来の成り行き。今後どのようになるかということ。「国家の運命」
デジタル大辞泉より
『運命』=『過去』=『日常』
「彼(彼女)とは運命の出会いだった」
「これって、運命ですよね」
「運命かもしれない」
もしくは、
「運命だったんでしょうか(事件、事故」
「運命としか考えられない(天災)」
ポジティブなこともネガティヴなことも運命と語ることによって非現実的な錯覚を覚えてしまいますよね?
スペシャル感満載です。
でもそれって、本当に特別なんでしょうか?他人に感動や哀しみの感情の振れ幅を分かってもらいたいだけに、運命という言葉を使って、過去を大幅に盛ってますよね。
そして、日常生活を盛るのであれば、日々が運命の日であり。毎日が特別になります。そうはいっても、毎日、同僚や家族に「運命」と連呼していたら、ただのイタい人だと思われるのがオチですけど。またさらにそれに同調する仲間もいたら、怪しいコミュニティか宗教団体に所属しているか、これから勧誘されるかだとおもわれます。
不幸な事実も 運命でかたづけることができるか
大切な人がガンになった日、亡くなった日、消えた 日など、ある日突然不幸がやってくる場合があります。他人は簡単に運命ということばをつかうかもしれない。でも、その不幸を背負ってしまった方が、自分に近ければ近いほど運命なんて言葉は使えなくなるはずです。むしろ使いたくないとおもいます。
運命が過去なら未来は?
過去の日々が全て運命をあらわすなら、未来の日々は自分で幸にして転換していく事がその日が終わった時点で昨日が運命の日になります。
で、どうしたらいい?
というお話。
日々は現実です。
日々をつくっているのも自分自身、会社に行くまでの道も、何時に食事することも、自分で選択している現実です。
その現実、少しだけ変更すること可能ですか?
方違えという行動
平安時代、「方違え(かたたがえ)」という行動がありました。
平安時代なんで、毎日家からでるのはさすがに男性だったと仮定しますが、この方違え、女性も男性も外出する時に行われていたそうです。
方違えとは、例えば今日、彼とおちあう場所が凶方だから、凶方に行く前に自宅から見て吉方の方角に出向き、吉方の場所でお茶して吉を取り込んでから待ち合わせ場所に行きましょう、凶方はなるべく踏まないようにその日を『運命の日』にして後々、語る為に健やかに過ごすために。という行動です。
自ら、いつも通ってる道を変えて行動する事で運命をつくっていく。
それが方違え、現代では日盤吉方といいます。
日々の積み重ねですので、劇的な運命を求めたがる方には、どうぞご自由に としか言えないですが、興味のある方は「気学」や「九星気学風水」で検索すれば何かしら情報が出てきます。
ちなみに、私も日盤吉方は実践中。最初はゲーム感覚で、休みの日に行ってました。
未来の運命は自分でつくるもの。
行動が未来を変えてくれます。
まずは行動することですね。